はじめに
四半期や半期の節目になると、個人の目標設定をする機会がやってきます。 目標は評価と結びついているので、私自身、毎回それなりに頑張って書いてきました。 ただ、書いた後にしっくりこない感覚が残ることが多くありました。
特に変化の早い会社では、状況が動くたびに目標を高頻度で修正することがありました。 そうしているうちに、期初に掲げたはずの目標が形骸化し、後から自分がやったことを目標として書き直す、ということが起きます。 気づくと「やったタスク = 目標」のようになってしまうこともあります。
この違和感をどうにかしたいと思っていた時に以下の二つに出会いました。
どちらも「よい目標とは何か」という問いを扱っています。 これらをインプットしながら、自分なりに目標設定の考え方を整理してみました。 実際に整理した結果を用いて目標設定したところ、自分でも納得感のある目標を設定することができました。
なお、この記事は二つのインプットから受け取ったものを自分の言葉で並べ直したメモのようなものです。 それぞれの中身はもとの記事とポッドキャストに当たっていただくのが良いです。
目標が作業になるとき
まず、目標がうまく機能しなくなる場面について考えてみます。
よくあるのは、定量目標だけが独り歩きしてしまう状態です。 四半期のはじめに数値目標を決め、その数字を追ううちに、なぜその数字を追っていたのかを忘れてしまう。 数字は達成したのに、達成感も成長実感も薄い。 私が感じていた違和感の正体は、だいたいこれでした。
こにふぁーさんの記事は、この現象を経営手法の歴史として説明しています。 以下は同記事からの引用です。
『Management By Objectives (目標による管理)』 が、『Management Of Objectives (目標の管理)』に変化した
本来の目標管理は「目標による(By)管理」、つまり目標を手段として人と組織を動かす営みでした。 それがいつの間にか「目標の(Of)管理」、目標そのものを管理し評価する作業に変わってしまった、という指摘です。
この変質には、目標を評価や報酬と強く結びつけていることが関わっていると私は考えています。 目標が評価の根拠になると、達成しやすい数字や、評価者に説明しやすい数字へと、目標そのものが引き寄せられていきます。 EM.FM の Re8 を聞き直して、目標設定と評価を直結させると目標が歪みやすい、という感覚を改めて持ちました。 これは後で説明するグッドハートの法則とも重なります。
同記事ではよい目標の条件として、個々人が意義を語れるか、そして個々人の日々の行動が変わるか、という点が挙げられています。 意義を語れない目標はモチベーションにならない、という言葉が私には強く残りました。
ここで考えたのは、この二点をどう自分のなかでつなげるか、ということでした。 意義(なぜやるのか)は、いまの期を超えた長い時間軸にあります。行動(何をするか)は、この期というスコープのなかにあります。 そこで、二つのインプットに出てきた要素を自分の言葉で並べ直してみました。
目標を4つの概念に分ける
私は個人の目標を、4つの概念に分けて捉えています。 「やりたいこと」「定性目標」「定量目標」「健全性指標」の4つです。 この4つは独立して並んでいるのではなく、互いにつながっています。 以下の図は、その4つの概念と、それぞれの関係を表したものです。 あわせて、組織の側にあるチーム目標との関係や、各概念が長期のものか、この期のものかという位置づけも描いています。

本記事では各概念を次のように呼んでいます。
- やりたいこと
- 将来こうありたいという像、個人としての根源的な欲求、所属する会社で実現したい野望
- 四半期では完結しない長い時間軸の動機で、すべての出発点
- これを意識すると日々の行動が変わる
- 入社時の志望動機のようなもの
- 定性目標
- この期のスコープで到達したい状態を言葉で定義したもの
- やりたいことをブレイクダウンすることで生まれ、同時に組織のチーム目標とも擦り合わせる
- 定量目標
- 定性目標の到達度を表現する具体的な数値
- 認識合わせのための根拠になる
- 健全性指標
- 定量目標が独り歩きしていないかを点検するための指標
- いわゆる guardrail metrics や health metrics に相当する概念
健全性指標については、EM.FM の Re8 で語られていましたが、観点を自分なりに「妥当性」と「健全性」に分け、SRE の Error Budget の話まで含めて広めに書きます。
4つの概念は、次のような関係でつながっています。 やりたいことを ブレイクダウン して定性目標になり、定性目標を 具体化 して定量目標になる。 そして健全性指標が、その定量目標を 評価する。 やりたいことから定量目標へ向かう一本の流れに対して、健全性指標だけが、定量目標を見張る側から逆向きに関わります。
ここにもうひとつ、組織側のチーム目標が関わります。 定性目標は、個人のやりたいことからのブレイクダウンだけでなく、チーム目標からのブレイクダウンも受け取ります。 つまり定性目標は、個人のやりたいことと組織のチーム目標が出会う場所になります。
こにふぁーさんの挙げた二点も、この関係のなかに読み替えられます。 意義を語れるかは、その目標がやりたいことにつながっているかで決まります。 行動が変わるかは、それが定量目標や健全性指標という具体にまで落ちているかで決まります。 定性目標は、その二つをつなぐ翻訳の位置にあります。 意義と行動を並列のチェック項目としてではなく、やりたいことから具体へとつながる関係として持つことができます。
やりたいことを起点に置く
「やりたいこと」は、4つの概念の出発点であり、いちばん見失いやすい概念でもあります。
やりたいことは、四半期では完結しない、もっと長い時間軸の欲求です。 こうありたい、こういう価値を出したい、という根源的な動機がここにあたります。 数値の前に、その数値が何のためにあるのかが要る、という順序です。
肝心の「やりたいこと」をどう自分の言葉にするか、というのはそれ自体で一つのテーマです。 私の場合は、未来に向けて新しく描くというより、過去の職務経歴を振り返って「すでにそこにある軸」を見つける、というやり方で言語化しています。 これは別の記事に書いたので、よければそちらも合わせて読んでみてください。
ここで気をつけているのは、定性目標がチーム目標だけに引き寄せられないことです。 さきほど見たように、定性目標はやりたいこととチーム目標の両方からブレイクダウンされて生まれます。 個人の定性目標がチーム目標に紐づくと、チームへの貢献になるので望ましい面があります。 ただ、やりたいことと乖離したままチーム目標だけに引き寄せられると、定性目標がやりたいことから切れて、チーム目標のブレイクダウンだけになってしまい、意義を語れない目標に逆戻りします。 チーム目標との接続は、あくまでやりたいことと重なる範囲で行う。 この順番を守ることが、やりたいことを起点にするということだと考えています。
起点を会社や関係から切り離して「自分がどうなっていたいか」に置くことには、もう一つ意味があります。 自分の目標設定によって自分の行動が変わり、その変化がチームの行動変容につながる、という波及の順序です。 チーム目標が先にあって個人がそれに合わせるのではなく、個人の変化が起点になってチームが動く。 この順序を成り立たせるには、個人が自分の目標を描けるだけの支援が、組織の側にも要ると感じています。
定性目標と定量目標
定性目標と定量目標は、やりたいことやチーム目標を、この期の到達点へ翻訳する役割を持ちます。 定性目標は、やりたいことをこの期のスコープに落とし、チーム目標とも擦り合わせた「到達したい状態」です。 定量目標は、その状態を具体化し、どれだけ近づいたかを測る数値です。 定性が向かう先を決め、定量がその到達度を測る。 この二つは、目的と物差しの関係にあります。
数値目標の置き方については、ロックの目標設定理論(1968年)が参考になります。 この理論では、目標が動機づけとして働く条件として、難易度、具体性、受容度、フィードバックの四つが挙げられています。 過度ではない挑戦的な難易度であること、定量化されて具体的であること、本人が受け入れていること、進捗を定期的に確認できること。 このうち受容度は、やりたいことと定性目標がつながっていれば自然に満たされます。 理論の各条件が、概念どうしのつながりと重なって効いています。
ここまでは、インプットした2つが扱っている範囲と概ね重なります。 ここから先の健全性指標は、EM.FM で出てきた「数値が独り歩きしていないかを健全性指標の変動で気づく」という話を起点に、自分の本業の言葉と繋ぎながら整理した部分です。
定量目標を点検する健全性指標
健全性指標は、定量目標が独り歩きしていないかを点検するための概念です。 EM.FM の Re8 では、数値が一人歩きしているかどうかを、本来そう簡単には動かないはずの健全性指標が変動していないかで気づく、という話が出てきます。 私のなかではこの話がいちばん残っています。
健全性指標は、一般には guardrail metrics や health metrics と呼ばれている、守りの指標にあたります。 ここからは、その健全性指標について、自分の本業である SRE の言葉も借りながら、自分なりに少し広めに整理していきます。
なぜこの健全性指標が要るのかは、グッドハートの法則で説明できます。 これは「指標が目標になると、よい指標ではなくなる」という、1975年に経済学者のグッドハートが述べた現象です。 SRE でも同じことが起きます。 サービスの信頼性を SLI (Service Level Indicator) で測り、その目標値を SLO (Service Level Objective) として定めますが、SLO を達成しているのに利用者の体験は良くない、という事態が起こります。 個人の定量目標でも、数値は達成したのに、やりたかったことから外れている、ということが起こります。 冒頭で書いた違和感は、まさにこの状態でした。
ここで「定量目標を点検する」という言葉を自分のなかで噛み砕いてみると、「正しさ」という言葉が二つの意味を持っていることに気づきました。 ひとつは、その数値がそもそも測りたいものを測れているか、という妥当性です。 もうひとつは、その数値の追い方が歪んでいないか、という健全性です。 ここではこの二つの観点を束ねて、健全性指標と呼んでいます。
妥当性: 数値は測りたいものを測れているか
妥当性は、定量目標が定性目標を正しく代理できているかを問う観点です。
たとえば「設計力を上げる」という定性目標に対して、「コードをn本書く」という定量目標を置いたとします。 このとき、コードをn本書くことが本当に設計力の向上を表しているのかは、自明ではありません。 本数は増えても、設計の質は変わっていないかもしれません。 そうであれば、その数値は測りたいものを測れていない見せかけの指標です。
妥当性の点検は、数値の達成度を見るのではなく、数値そのものを疑う作業です。 達成しているのに定性目標の実感がないなら、それは指標の選び方を見直す合図になります。 SREでSLIが利用者体験を本当に代理できているか?CUJに対してSLIは妥当か?を問い直すのと、同じ営みだと考えています。
健全性: 数値の追い方が歪んでいないか
健全性は、定量目標を追う過程で、他の大事なものを犠牲にしていないかを問う観点です。
定量目標を追ううちに、心身の健康が削れたり、周囲からの信頼が損なわれたりすることがあります。また、定量目標を達成するために他の値を犠牲にしてしまうことがあります。 本来やりたかったこととは別のところで無理が出ていないかを、定量目標とは別の物差しで見張る。 普段は安定しているはずの指標が動いたら、それが定量目標の追い方が歪んでいるサインになる。 それが健全性の点検です。
この守りには、もう一段進んだ動的な形があります。 SRE の Error Budget です。 Error Budget は「100% から SLO を引いた値」で、許容される失敗の量を表します。 その役割は、信頼性と開発速度という対立する価値のバランスを取ることにあります。 信頼性を 100% 目指すと開発速度が犠牲になるので、あえて余白を残し、その範囲で新しいことに挑む、という制御です。
これを個人の目標に移すと、定量目標を 100% 最大化しないための余白になります。 たとえばアウトプットの本数を追う期でも、学び直しや休息に充てる時間をあらかじめ Budget として確保しておく。 ひとつの数値に傾倒しすぎたときに、それを是正するための枠を持っておく、という考え方です。
健全性指標を孤立させない
健全性指標を持つうえで意識しているのは、これらの観点を単独で持たないことです。
グッドハートの法則は、指標が孤立したときに起きます。 ひとつの数値が、それが代理するはずの目的から切り離されて独り歩きするからこそ、歪みが見えなくなります。 逆に、定量目標を定性目標ややりたいことと関係づけておけば、数値の歪みは、つながっているはずの上位の概念との不整合として現れます。 4つの概念を関係でつないでおくという構造そのものが、グッドハート対策になっている。 これが、健全性指標を単独で持たず、他の概念と切り離さない理由です。
ここまで書きましたが、健全性指標の運用は自分のなかでもまだ試行中です。 妥当性を数値の指標として持つのか、定期的に投げる問いとして持つのか。 Error Budget の余白を具体的に何に充てるのか。 傾倒しすぎや代理のずれを、どんなサインで検知するのか。 このあたりはまだ手元に答えがなく、これから試していくところです。
さいごに
個人の目標設定を、やりたいことから健全性指標までの4つの概念とその関係で整理してみた、という話を書きました。 ベースはこにふぁーさんと EM.FM Re8 で、自分はそこから受け取ったものをSREの言葉と並べ直しただけで、新しいことは特に言っていません。
健全性指標の中身は、妥当性と健全性という二つの観点に分かれるところまで自分のなかで噛み砕けましたが、運用はこれからです。
この分け方が他の方の目標設定にも使えるかは分かりませんが、似たような違和感を持っている方がいれば、気軽に話を聞かせてください。